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【暮らしの哲学】と「14歳からの哲学」を読んで長年の疑問がやっと解けた

池田晶子著の哲学書との出会い


哲学と聞くと難しく感じる。
しかし池田晶子著書の哲学は現代人に分かりやすく書かれている。

14歳からの哲学


 
読むきっかけはNHKのEテレで多分トップランナー 金森穣(ダンサー・演出振付家)の
インタービュー番組でしていた、『後で探したのですが、よくわからず多分この人』
間違っていたらごめんなさい。

ダンスの振り付けをその場で、即興で日常の中からダンスは出来ることを
見せてくれ収録後、楽屋で彼が読んでいた本をアナンサーが訊ねた「14歳からの哲学」と
言うことが分かり、おすすめですと言っていた。

蔦屋書店で調べたのだが置いていなかった。

NETで調べ購入はできそうだったが、内容がわからず少し気が引けた。
図書館に行き、たづねたら取り寄せてくれると言うことで取り寄せてもらうことした。

この筆者の、違う本を何冊か図書館で読んでみたら僕が、かねがね解けなかった
謎が解けた。

 

 

それが、暮らしの哲学と言う本


僕がちょうど小学生4〜5年生の頃、先生が宇宙は「無限」だと教えてくれた

無限ということはどうゆうことなのか、そのことが気にかかり、家の部屋で
寝そべって天井を見ながら宇宙の無限について考えた。

無限ということは果てしがないこと、「どこまでも、どこまでも行っても」
果てしがない。

 

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太平洋が金魚鉢だとして太平洋の真ん中に、「めだか」くらいの大きさの魚を
浮かべたら陸地に着くまでに死んでしまうだろう、その魚が人間だとしたら、

陸地まで遠いいのだから、果てしがないと思ってしまう・・・そういうことなのか?

そんなことを考えながら、宇宙に思いをはせて、月や火星、土星、冥王星その先に
どんどん進んで行く太陽系をはなれ、どんどん進んでいくと、どこに行き着くのかを考えた。

どうしてもどこかに壁や行き着くところがあるようにしか考えられなかったのです。

どこかに果てしは有るはずと・・・・どうしても思えてその先は?・・・と
考えているうちに、頭が破裂して気が狂いそうになって、考えるのをやめたことが
あった。

地球が丸いことも知ったが、それも不思議に思えた、引力の力で
地球の真横にいようが真下にいようが、落ちない不思議。
人間より何十倍も重たいビルが引力によって地面についているわけだ

しかしその重たいビルが地面についている引力の力を人間は感じない。
本当だったらビルの重さを引きつける強力な引力を感じていたら僕は重くて歩けない、もしくは
押しつぶされても不思議はないなど、考えていた。

何か釈然としないものを感じていた。

今でも不思議に思えることは、いくつもある。

宇宙に光っている星は僕が生まれる何億年も前に光った光を
今現在、何億年後に僕が生まれ見ているわけだ、このことを考えても

今いる僕は夢の中なのか、とつぜん死んだ時、目が覚めて新たな世界に
起きるのか?そんなことも今は考えないようにしている。

しかし池田晶子さんは宇宙にについても、僕が考えていたようなことにも
触れている。

多分僕自身は理屈で納得しないと、理解できなタイプだったのだと思う。

今現在カーナビなども衛星からの電波の跳ね返りで
時間差なし、寸分狂わず道をナビしてくれることでさえ、すごいことでは
ないですか?

 

この本で宇宙の無限について、理解ができた


還暦過ぎるまで無限について、考えないようにしてきた。

このことがある程度納得が行ったのです。
それは無限に生きるの、ところで語られている。

無と無限について・・・・?
無とは・・・・とは「0」のこと宗教で言う 「空」座禅を組んで無の境地とか
言うけど、何も頭に浮かんではいけない、考えてはいけないこと「無」なのだから

「無」そんなものは実は考えることはできない。
だから無は言葉のみ、在ると苦しまぎれに言うことができるわけです。

数学上のゼロはインド人の発見ですが、まさにそれは「発見」なのであって
本当は「無い」ものは発見できるはずもない

数学上の操作として使用可能な、ゼロという「考え」だったわけです。

これに対して無限と言うのは・・・・?
我々は無限と聞くと、なんとなくそれらしきものを「頭の中に」表像してしまう。
宇宙が無限大に大きいとか、物質が無限小に分割できるとか、何かそのような
ことをイメージしてしまう。

これが僕を宇宙をどんどん進んでいけば、どこかに果てしが在るように
思えて頭を悩ました原因です。

暮らしの哲学

暮らしの哲学


 

無限が解決したように思えた瞬間


この本で、書かれている数学によって、「考えることで、僕も納得できたのです。」

端的に実感できるのが数の単位、無限大の方は・・・・?
一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、し、穣、講、 潤、生、 載、とまだまだ
あります。全然知りませんでした。

要は数学上は数字に2.0000000000000000000000001秒と考えると
無限大に0は、つけていくことが数学上はできるわけです。
『最後の数』と言うのは存在し無いことなのです。

従って「無限」というのは存在し無いことな訳です。

数学上は無限に0を増やしていけるわけで、限りがないのです。
こう解釈すると無限は限りがないと数学でイメージすると僕の頭で
理解可能になりました。

これで長年考えないようにしてきた「どこまで行っても無限」の謎が
理屈で理解できました。

スッキリした!!!

この本の僕の考えないようにしてきた無限について、語ってしまいましたが
これだけではありません。

 

言葉の力


この言葉についても意味が深いのです。
言葉を話すことで理解し、また傷つきもする、言葉を読んだり話したりする
言葉は、「意味を理解する」こと

意味を理解することに他なら無い、言葉によって意味がわかるのは何故なのか?

我々にとって言葉がなければ生きていけ無いだから「生命」そのものだとする。
とてもここで説明できるほどでは無い。

もちろん自由とは・・・・?
本来何をしても自由なのが自由のはずだ、では自殺も自由?

自由とは、好きな仕事に打ち込めるそれこそが自由、自分に対して
嫌がらせをする人のことがいつも気になり、仕返しをしたいと考える事、

これは不自由、その人を許す事ができ、忘れる事ができた時、あなたは本当の自由を
手に入れた事になる。

そのことに関しても納得させられる。

 

哲学について


僕自身、母が無くなる時、枕の下に写経を何十枚か書いて置くと
良いと言われ、2〜3日で般若心経を写経し50枚書いて母の枕の下に
入れたことがあります。

不思議に書き終わると集中して、心穏やかになっていた。それからその意味
般若心経の意味が知りたくなって簡単にわかる本を読んだ、これが僕に
とっては真相心理(哲学)みたいな出会いです。

般若心経の中にも宇宙についてや日常使ってる言葉いくつも出てきている。
色々な事を突き詰めていくと宇宙にたどりつくのか?

大宇宙があって太陽があり、地球があるわけだから、自然現象も宇宙の影響を
受けないわけがない。

いつかもっと徹底的に意味を調べようと思っています。

お店を経営するにあたって・・・?
もちろん経営理念をもち、全てそれに沿って店作りから
お客様に対しても、その理念で考えをスッタフと共にした。

その中でスタッフが進むべき考え方として、1年目は何を身につけ、2年目は?
5年でトップスタイリストその後クリエイターの道か?店を総括する店長
そして独立へと、ある程度の目安や目標を作成していた。

その中で15年ぐらいのベテランは技術や人間としての哲学が語れるよう
になることも目標の一つにしていた。

この本と出会ってからは、今思うに恥ずかしいような気がする。
哲学の意味すら考え違いをしていたのです。

その当時の僕の言う哲学とは・・・池田晶子さんによると思想になる
思想とは「取ってつけるもの」今まで培ってきたことを、みんなが
納得するように自分の言葉で語れるようにと言った意味で使用していた。

哲学とはみんなが説明でき無いことを、考えオリジナルな答えを
導き出しみんなが理解できる真相心理まで行くことと理解した。

 

14歳からの哲学


この本もやっと手元に入り読んでみた。
今社会問題になっている自殺や、「人を殺して見たかった」など
若い人や親にとっても「俺が、私が死のうが自由でしょう」とか
言われたり、命について、自由について、体について、セックスに

ついても親になって知っていれば子供と向き合ってお話しできた
かもしれ無いことが多く書かれています。

例えば・・・?
00君はXXさんのことが好きという感情、特に異性の友達のことで悩む
ことが多い、これは異性の方への関心が高いから、もっと切実なのかもしれ無い

これは全く単純な理由だ、それは性欲、つまり性交をしたいという要求からだ

なぜ性交をしたい要求があると言うのは、性欲は、食欲とと同じ本能的な
欲求で、その意味では全くの自然な要求なのです。

生物として、子孫を増やすと言うそれだけのことなら話は簡単だが、人間と
いう生物の場合だけはそう単純にはいかない。

他の動物の場合には、決まった発情期というのがあって、一年のうちその
時期だけ発情して性交をするという仕組みになっている。

これも宇宙からの影響で潮の満ち引きや四季が関係している。

なぜか人間は発情期が無い、つまり、ねんがら年中、のべつまくなく発情して
いる。

いつでも発情しているし、いつでも性交したいという状態だ。
そうすると本来それが子供を作るための本能の仕組みであったという事実を
人は忘れがちになる。

性交によって発生する快楽の側にばかり関心が行くようになる。

そのうえ性交するたびに子供ができたら大変なことになるので、性交しても
子供ができないように工夫をも人類は開発した。

14歳からの哲学 考えるための教科書
14歳からの哲学 考えるための教科書


 
性交と生殖をとを、切り離すことが可能になった。
つまり性交の目的を生殖ではなく、快楽に限ることができるようになったのです。

本能であるところの食欲が、食べるとこと自体を楽しむことによって
様々な食文化を生むように、本能であるところの性欲も、性交する
こと自体を楽しむことによって、様々な性文化を生むことになる。

そうんな風に、人間の性への欲求と言うのは非常に強力である側面から
この世を動かしている根源的なエネルギーだという。

子孫をのこすだけのためだったら、雄と雌であれば良いはずだよね
けれどもやっぱり、恋愛の相手は、必ず特定の誰かであるわけです。

00君はXXさんでなければダメで、0Xさんではダメなのはどうしてなんだろ
これはよく考えてみるとすごく不思議で面白い事、しかし多くの人は
この事に気が付いてい無い。

人間が人を好きに、なることとはどうゆうことなのか?

恋愛の対象と性欲の対象とを同じものだと思ってしまう。
混同して錯覚してしまう

実はセックスしたいだけなのに、好きなのだと思っていたり、セックス
する事が、好かれていることなのだと思ったりしている。

セックスしたいから好きだと言ってみたり、これはわざと錯覚するとでも
言うのかもしれない

とにかく人間の性のややこしいことと言ったら、君も覚えがなくはないだろう

好きでなくてもセックスできるし、体は体、セックスはセックスと切り離す
ことが出来る。

 

売春について


最近先生による生徒を買収させる行為がニュースになった。

人によってはセックスだけ、人に売ってしまおうという人さえいる。
セックスは売っても、心は売らないと行ったべつべつのものとした
考えになってきている。

体は売っても心は売らないと言った変な理屈だけど見えも、触れもしないのに
心を売れないのは当然だ。

たとえ売れるにせよ、売れるものなら、なんでも売ってしまおうなんて
安い心を、わざわざ買う人なんかいない。

なのにその子は、心は大事だから
売れないのだと思っているのだから、哀れな勘違いじゃないだろうか?

なぜ心は大事で、体は大事ではないのだろうか?

心が大事なら体も大事なはずなんだ。
心と体とは別のものではなく、同じものの裏表なのだということについて
知ってほしい。

人に見える体については確かによく大事にする。手入れをしたり、お化粧を
したり、なるほど時には売り物にもなるからだ。

でも、売り物にするのだから、やっぱり大事にしているわけじゃないか、じゃあ心は
大事にしているのかと言えば、体を売るというその考えが、そのまま心を
売ることなのだから、やっぱりこれも同じこと

多分したいことをすることが、心を大事にすることだと思っているのだろう
本当は心も大事なら、体も大事なはずなのだ売り物にするから化粧もする

見える体の部分は綺麗にする。

売り物にするのだから大事にしているはずなのに、体はべつ、好きでも無い人と
快楽を売っているのだ。

もしあなたが高校生ぐらいの子供に売春の、何がいけないのかについて
聞かれたら、それは罪なると言ったり、法律があるからと言ったりするだろう、

しかし売ることも自由じゃないかと言うようなことを言ってきたら、
なんと答えるのだろう。

売ってはいけないと行った法律も国が勝手に作った決まり出し。現に
合法な国だってあるじゃ無いか、それの何がいけないのか?

と言ってきたら答えに困るのでは無いか、しかし自由とはどうゆうことなのか
売春をして誰に迷惑をかけているのか?

しかしその子も心は大事だから、売れはしないと思っているのです。
多分したいことをすることが、心を大切にすることだと思っている

体を売ると言ったその行為が、そのまま心を売ることなのだから・・・

「誰にも迷惑をかけ無いのに何が悪いのか」というのも、売春をする子の
屁理屈だ

誰も迷惑を受け無いし、悪くなることも何もない、だけど、この世の中で
たった一人だけ、大変迷惑を受け、大変悪いことになる人がいる。

売春している、まさにその子だ心も体も大事にしないで、それが悪く
無いはずがない、自分が悪くなることをすることが、

どうしてして、したいことをしていることになるのだろ

売春をしている子、しようとしている子は、これからの人生でひょっとしたら
一番大事かもしれ無いことを、最初から失くしてしまっている可能性について

考えてみると良い、セックスと言うのは好きな人とするからこそ、良いのかも
しれないのに、好きでない人とのセックスをお金に換えることで

その良いことを一生知らないままでいるかもしれないとしたらどうだろう
すごく勿体ないことだと思わないか?

そういう人もいつかは本当に好きな人を見つけて、過去の過ちに気ずけたら
なら幸いだ、口があるなら好きだと言えるし、性器があるなら性交は出来る。

そんなのは誰でもできることだ、所詮動物なのだから・・・・

誰にもできることでないことは?
動物ではない人間にしかできないことは?
その人の事を愛する事が、自分を愛する事である、そうゆう恋愛をする事だ、

自分を愛する人でなければ、他人を愛する事はできない
動物としてのセックスがある分だけ、人間が試されている。
人を好きになる事だ

このようなん事を述べている、この年齢に成っても奥が深く勉強させられる
14歳の人に分かりやすく順序立て語りかけてくる。

時には頭が混乱することはあるが、考えすぎて気が狂った
哲学者もいたわけだから、どこか知ってよかったといた部分はあるはず。

2003年に書かれた本だが、密かなロングセラーになっている。
あくまでも僕の基準だがおすすめできる書籍だ。

僕自身は暮らしの哲学が気に入った。