僕自身も若い頃は自分探しを自問自答して考えたことがある。
例えば・・・・
丁度アメリカでは若者たちがヒッピーになって自由をもとめた、「貧富の差や、
金融至上主義社会、ベトナム戦争、」そういったものに疑問を持ち、脱却しようと
した若者たちが、ヒッピーです。
「自分に何ができるのか?」自分の中から変わって、社会を変えようと、
新しい生き方や考え方を模索していました。
ファッションも何か少しワイルドだし仲間と色々な、欲や
しがらみから、愛のある革命を起こそうとしたようにも感じられました。
当時の社会的な状況って、今の時代にすごく似ている気がします。
若者が、古い社会の仕組みをひっくり返して、新しいパラダイムを作ろうと
考えています「ノマド」「起業」「インターネット」とかで、若い学生が一躍
有名になったり起業で、とてつもない大金をつかんだりと・・・・
またそのギャップの中、自殺者も多く、いじめや、引きこもりと、危険ハーブや
ドラックにはまり、何をどうしたら良いかわから無い、それは多くの人が
経済的繁栄の中で、自分の人生に価値と意味が見出せなくなってしまったから?
だから自分探しをしたいんでしょう。
それは昔のヒッピーのように見えます。
目次
僕の経験上自分探しをしても決して見つから無いのは道理なのです。
自分というものについての問いの立て方を、初めから間違えていると
池田昌子著書でも言っている。
人と自分は違うのだから「自分は自分で良いのでは?」
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本来自分なんてものは、本当は何も無いと、仏経や哲学でも行っております。
そんなものはあるようで、ないのです。
本気で考えればあるんだかないんだかわからないようなそんなものが
何か確固として「ある」ように人は思い込んでいます。
僕自身も心で感じている自分は心の中にあるのか・・・?
ではその「心は」自分の肉体のどこにあるのか?
心は何処にあると、誰かに聞けば大抵の人は心臓や脳を指すでしょう。
心臓・・・?
脳の中・・・?
右脳など左脳など言っておられますが、例えば右脳のどこにあるのか?
見たことも、見せることも、触ることもできません。
未だにその実態はわかっていません。
自分がなぜ存在するのか、生きていると言うことはどうゆうことなのか?
可愛い小学生の子供達が、何も悪いことをしてないのに、なぜ無残に
殺され「死を」迎えなければなら何のか・・・生きることや死に対して
納得がいかず・・・「運命」と言った言葉で、かたずけるしか
整理のしようがないのです。
人間は、この世で「何かに生かされている」何かはわかりません
生かされないような時期になったら「死」迎えるとしか説明が
つかないのです。
ですから自分探しは心に問うことになり実はないようなものを
「探す」という徒労に走ることになります。
今の僕は、結局のところ「自分探しと言うのは」好きか嫌いかの
選択だと考え、今まで培ってきた思考を探すと考えています。
「自分」は探さなくとも、自分たちの中に既に存在しているのです。
僕の中では「好きか、嫌いか」で選択していく「行為と」考えています。
そうすると人に手伝ってもらうのもおかしなことかなと思い
「好きか、嫌いか」は自分で決めることにしています。
過去は思い出すことはできても、未来はどうなるかわかりません
突然「死」に追いやられたり・・・
「現在では無い」未来は「好きか嫌いかで」判断した事の
積み重ねが未来になると考えているのです。
例えば今ブログを書きながら、コーヒを一口飲んだ、これは無意識の内に
カップに手を伸ばし口にした、文章を考える、ひとて間に
「それをしようと選択を」無意識にしたのだと思います。
一瞬一瞬が無意識に選択する事もあれば、じっくり考えて選択する事も
あります。
引き寄せの法則と言いた、類の本を読んだ事がある。
言葉に書き出し毎日その事をイメージすればなんでも手に入る
と言った事です。
これはビジネス書にも目標を立て実行計画書作り1日の行動計画を
実行する事で目標を達成できると行った事だ。
確かにエルメスのケリーバックが欲しいベンツが欲しいと思っていると
いつの間にか手に入れている。
それは好きなことは自然に行動に移し、いつも思いを巡らせているから
思いが強いほど、いつのまにか叶えているのです。
この事は僕の経験からも理解できます。
「好きか嫌いか」で嫌いなものは除いていけば「好きな」ものが見つかる。
パイロットになりたい。
アイドルになりたい。
何れにしても好きだからなりたいのです。
もちろん家庭の経済状態や環境によって諦めてしまっている
ものあります。
これも自分が心で感じて「これは無理」「これはできる」と判断しているのです。
あきらめた時点で、その「未来は」断ち切られてしまいます。
食べ物も大抵は「好き」か「嫌い」かで選別して食べています。
結果的に自分の肉体も結果として、できているのです。
最近はそれとは別の観点から、自分の肉体作りから選んでいるものも
ありますが、基本「大嫌いなもの」は口にしません。
僕の肉体が寄せ付けないものと、とてつもなく恐怖な事は、避けます。
自然の摂理で防衛していると感じるからです。
しかし年齢を重ねるごとに経験も積み重なり、「好き」や「嫌い」と言った
ことも変わります。
変わった時点での「好き」や「嫌い」で判断すれば良いのです。
もの作りをある程度経験すると、オリジナリティー、自分らしさが
欲しくなる。
自分が作ったものに対しての自分らしさ(オリジナリティー)
です。自分のオリジナリティーとは・・・とかもよく考えた。
その答は・・・?
徹底的に練習をする・・・もしくは多く作品を作る
このことで無駄なものは、はぶかれシンプルになった時、おのずと
自分らしさ(オリジナリティー)が備わっているのです。
会社を作る時、多くの社員を抱えると考え方を統一する必要が出てきます。
また、あなたの会社の経営理念はとかも、よくたずねられる。
この時にはさすがに困った。
大事なものであることはわかりますが、いまいち漠然として
よくわかりませんでした。
たのサービス業、特に松下幸之助・リッツカールトンの「羅針盤」は
よく読みました。
経営理念と信条作りはどうしても自分に問うことになり、
後で撤回するわけにもいかず慎重になったのです。
結果的にこの時ばかりは、コンサルをお願いしていた人に
相談して、質問事項に答えながら作ったのです。
おかげで店づくりやヘア作品を作る時も、スタッフの意識統一も
この経営理念を元に自分の考もブレずに出来たように感じます。
これらすべてが、その言葉や理念や食べ物から、音楽、ファッション、
日常の行動に至るまで、「好きか」「嫌いか」で決まってしまいます。
食べ物からファッション、心の持ちようで、自分の顔さえ
作られているように思うのです。
その時どきの「好き。嫌い」で未来は作り出されるというのが
今この年齢に達して感じている事です。
多少、嫌な事や、考えが違った事でも、違った側面を見るためには
大切にはしています。
自分の仕事に対しても「何が向いているのか」さえわからなく、
「何になれば良いのか」その時点での現状を考えるとわからない時期もありました。
美容師を目指す事になった時も「恥ずかしい」「照れくさい」と言った
事や嫌な面もありました、
何か商売をしたいと考えた末に、人の薦めもあり、あまり乗り気では
なかったのですが美容師になり、自分にあっていると確信したのです。
迷った時は自分の直感を信じて時に身を任せるのも一つの方法と感じます。
もちろん時には人に相談する事は大切です。
それは自分では想像の域を超えてる事もあるからです。
そこで知恵を借り結果的にどっちが「好きか嫌いか」を判断する事に
なります。決めかねる時は直感を信じる事にしています。
親や周りの人に才能を発見されその道を、ひたすら進むこと・・・
こんな幸せな事はありません。
たとえその道でトップを取れなくても、その経験は生きてくるはずです。
「好きか」「嫌いか」で自分探しをするのも一つの方法です。